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さて。 お正月気分からも抜け出さなければならないので、夏旅行の続き。 どっちも休暇か。 ヨダレものの子不知の旧国道に別れを告げ、いざ親不知へ。 と、その前に腹ごしらえ。 ![]() 国道8号沿いにある「親不知ピアパーク」にて、名物(?)たら汁定食。 んー…… 普通。 そして、こちらのアイドル(?)ミリオン君。 ![]() 世界一の海亀像(ブロンズ製)だそうです。 このミリオン君、なんと。 右目からは小鳥が。 ![]() そして、左目からは天使が。 ![]() 痛そうだ。 ん?小亀を連れていたから、もしかしたらミリオンちゃん、かも。 お腹もいっぱいになったところで、いざ。土木遺産へ。 明治16年に断崖を削って開かれた旧国道。 それまでは、岸壁の下の海岸線を命がけダッシュしていた当時の人々は、 どれだけ喜んだことでしょう。 昭和41年に国道8号の天険トンネルが完成し、 旧国道は文化遺産としてコミュニティロードとなり、当時の様子を伝えています。 その入り口には、観光ホテルが。ここの駐車場に車を止められます。 天嶮親不知の厳しさと、4世代道路の歴史が書かれています。 ![]() この方、ウォルター・ウェストンさん。 なんでも、日本近代登山の父だそうです。 明治27年にここを訪れたらしく、めでたくブロンズ像にしてもらえたとか。 ![]() ウェストンさんが眺める先にあるのが、旧国道。 ちょっと柵から乗り出して外側から見ると、こんな感じ。 ![]() この旧国道、崖を削って作ってあるんだけど、 その崖の壁面に、当時の人々が完工を祝って刻んだ言葉が今も残されています。 ![]() ![]() 見えるかな。 「如砥如矢」と刻まれていて、「砥(と)の如(ごと)く、矢の如し」と読みます。 これは、「砥石のように滑らかで、矢のように真っ直ぐ」通れる、という意味だそうです。 ![]() こっちは、「天下之嶮」ですね。 他にもけっこう色々彫ってあったけど… もう海で命を落とすことはない、という喜びの余り、彫っちゃったんでしょうね。 でも、当時、こんなことして怒られなかったのかな… 重機もない時代だから、何人もの命が犠牲になってできた道だろうに。 いわゆる、落書き(落彫り?)じゃないのかしら、これ… このコミュニティーロードは、 天険トンネルが貫通している崖を囲むように作られています。 ![]() つまり、これを終点まで行くと、国道8号の天険トンネルの出口に着く。 私は、もちろんこの道を最後まで歩いて行きたい。 とっても行きたい。 すっごく行きたい。 が。 私の後ろでこちらを睨んでいる二つの目が… 「立入禁止」の看板も、ロープもない。 別に行っちゃいけないわけじゃない。と、思う。 思うんだけど。 ここで我を通すと、後々めんどくさい。 仕方ない。戻るか… 右手は先ほどの文字が刻んである壁面。 近付かないようにロープ張られてます。 ![]() ![]() コミュニティーロード入り口まで戻って子不知方面を見ると… ![]() ね?ステキな眺めでしょ? そしてそして。 親不知コミュニティーロードがあるこの場所には、 さらに感動的な文化遺産が、この崖の下に隠れているのを見つけました。 駐車場から海方面へ下りる小さな階段があったので、とりあえず行きます。 ![]() ずんずん下ります。 ![]() 海が見えてきました。 ![]() 見上げると、こんな感じ。 ![]() ん?なんだあれ ![]() さらに下りると ![]() ありました。 ![]() 鉄道だー! そして、振り向くと ![]() 事前情報なしに、これと対面した時の私の興奮。わかります? 改めまして。 こちら、親不知ずい道。 ![]() とってもステキなレンガ造りの鉄道トンネル。 保存状態のいいレンガトンネルは、大変貴重だそうです。 大正元年に開通し、昭和40年の複線化に伴い、廃線となりました。 入口からは、出口の小さい明かりが見えます。 トンネル内には、蒸気機関車から出た煤が付着しているそうです。 ここからさらに下りると、海です。 ![]() 昔、命がけダッシュしていた海岸です。 レンガトンネルを撮るために階段を途中まで下りて ![]() 傘を差しながら不機嫌な顔でこちらを見下ろしている監視官がおりましたので、 大人しく車に戻りました。 それにしても、こんな素晴らしい鉄道遺産があるのなら、 もっと入り口でアピールすればいいのに。 子供でも歩いて下りられるように道が整備されてるのに、もったいないなぁ。 これで新潟とはお別れで、富山に入ります。 新潟は、お米もビールもおいしくて、土木遺産も多い。 関越自動車道からの景色がとても美しく、私は新潟がとても気に入りました。 また行きたい! ■
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by prampalmakara
| 2015-01-10 19:17
| 土木遺産のあれこれ
新年明けました。 おめでとうございます。 今年も、年末ボクシングを楽しみ、紅白を見て、 元日は両親、親戚と会って気を使いまくり、 2日、3日は箱根駅伝を満喫したお正月でした。 それにしても、青山学院大学。 箱根駅伝初優勝、本当におめでとう。 そして、10時間50分を切るという素晴らしい記録。 コース変わっちゃったから、参考記録だけれども、 あの東洋大学の記録を早くも破ってしまいました。 すごーい。 今年も色々なドラマがあった箱根駅伝。 感動しました。 青春っていいなぁ。 ちなみに、いつも応援している上武大学は、 今年もシード取れなかったけど、襷が途切れなくて良かった。 明日で休みが終わると思うと、本当に本当に気持ちが重くなりますが、 「仕事辞めたい辞めたい」と言い続けた2014年を反省し、 今年は進退はっきりさせねば。 と思います。 というか、あと1年はもたないと思うんだよねぇ…今の仕事。 そういうわけで、みなさん。 今年もよろしくお願いいたします。 最近はまっています。 色々と勉強になる。あんまり必要ない知識だけど。 ゴキブリを主食にしているクモがいるって、知ってた? ![]() ■
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by prampalmakara
| 2015-01-03 20:30
| 日々のあれこれ
はっこねの やーまわぁ てーんかの けん という歌がありますが、日本の「天下の嶮」、つまり「天嶮」は、 箱根だけではございません。 新潟県糸魚川市親不知。天嶮・親不知です。 わかっているとは思いますが、念のため。「おやしらず」と読みます。 地形的な話をすると、本州はフォッサマグナという地溝帯で 東北日本と西南日本に分断されているらしい。 そのフォッサマグナの西端の外側に位置する北アルプスが、 海に落ち込んでいる場所が親不知。 日本海の浸食で、飛騨山脈の北端が削られて断崖絶壁が続きます。 JR北陸本線の親不知駅を中心に、 西側の市振駅までが親不知、東側の青海駅までが子不知。 全部で15Kmほどの距離。 このような断崖絶壁エリアは、通常であれば交通に適さないため、 海沿いではなく迂回した山越えの道が作られるそうだけど、 北アルプスの複雑かつ険しい地形がそれを拒み、 昔から人々は日本海の荒波と戦いながら、現在までに4世代の道が作られました。 その第2世代の道の一部が、土木遺産に認定。 現在は親不知コミュニティロードという名で、 徒歩と自転車のみ通行可能となっているため、そこを目指してレッツゴー。 と、その前に。 コミュニティロードもいいけど、その前に確認しておきたいものが。 これ。 ![]() ![]() こちら、子不知エリアの旧国道。青海駅から親不知駅までの第2世代の道です。 右側に映っているのが、現国道8号線。第3世代の道です。 この場所では高架橋になってますね。(左の下方に映っているのは、北陸本線) ![]() ![]() 旧国道も現国道も断崖絶壁に這うようにして作られてます。 そして、これ。 ![]() こしらず高架橋の先にある洞川橋の旧橋。 どうです。 この廃墟感。 萌えるでしょう? ヨダレ出るでしょう? 人工の構造物が自然に侵蝕され、飲み込まれていく、この感じ。 んー。たまらん。 フェンスを越えればこの旧道に入れたんだけど、 ウズウズしている私を後ろから睨む二つの目が… 常に、私が無茶をしないか監視しているだんなさん。 ご苦労様です。 ちなみに、第4世代は北陸自動車道ですね。 北陸自動車道は、トンネルに入っちゃうので、つまらないです。 でもこの北陸自動車道、日本初の海上設置となったそうです。 これ。 ![]() さらにちなみに、第1世代の道は、道ではなく崖下の海岸線。 引き潮のとき、または波の合間を縫って、岩場から岩場へ、命がけのダッシュ。 岩場には休憩所ならぬ休憩穴があり、 海荒れがひどい時は、そこから1週間も動けなかったとか。 加賀の大名様も、そうして参勤交代されたそうですよ。 親不知・子不知の地名の由来は諸説ありますが、 この命がけダッシュを表しているという説も。 親は子を振り返ることができず、子は親を気遣うことができないほどの 過酷な場所だということ。 そんな場所にようやく道らしい道ができ始めたのは、明治になってから。 旧国道は明治16年に完工し、改修を繰り返しています。 今ではJR北陸本線も通っているので、 旧国道・国道8号・北陸自動車道・JR北陸本線の4本の道が通ってることになりますね。 現在の国道8号線は、山肌に沿って曲がりくねっていて、 ずっとロックシェードがあるので見通しも悪いし、歩道なんてものは無いに等しい。 ![]() 道幅もそんなに広くないし、トラックがバンバン走る。 普通に車を運転してても怖いのに、徒歩やチャリは、考えられない。私は。 山の迂回道は、登山道しかないみたいなので、車ないと生活は難しい。 ところで、最近気付いたんだけども、私のこの趣味嗜好は、ラピュタが原点。 思えば、あれが、映画を見て泣いた初めての経験。 痛いわけでもなく、悲しいわけでもなく、なんで涙が出るのかわからなくて、 小学生ながらに戸惑ったのを覚えています。 あの頃に、自分の趣味嗜好にちゃんと気付いていたら、 も少し違った人生を歩んでいたかもしれないなぁ。 ■
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by prampalmakara
| 2014-12-14 14:03
| 土木遺産のあれこれ
![]() 私は、この夏まで知りませんでした。 いわゆる、トンネルのことだそうです。 中山隧道は、新潟県山古志村にある日本最長の手掘り隧道で、全長922メートル。 昭和8年から、地元住民がツルハシ片手に掘り続け、16年後の昭和24年に貫通。 以降、新トンネル開通までの49年間、住民の暮らしを支える道として活躍しました。 山古志村は、冬になると積雪7~8メートルの豪雪地帯。 村の最深部に位置する小松倉には病院や商店はなく、 用事があると険しい中山峠を片道2時間かけて越えて行くしか道はありませんでした。 妊婦や病人を背負って峠を越えるという厳しい状況で、吹雪の時は死者も出ました。 そこで、住民達は、自らの手で隧道を掘ることを決意。 身銭を切って測量技師を呼び、農閑期の冬に限り交代で掘り始め、 16年の歳月をかけて、完成させました。 すごくないですか?これ。 手掘りですよ。手掘り。 当然、反対や失敗やケガもあったでしょうに。 しかも、冬しか作業しない、って。 ものすごいメンタリティだと思う。 だって、気が遠くなるような作業時間ですよね。 しかも。 この中山隧道、昭和57年に国道に認定されてます。 いやいやいやいや。 車通れないよ?ここ。 真っ暗だし。 入口付近に、スイッチらしきものがあったから押してみたら、 とおーくの方で、ポッと灯りが付いてたけど。 いやいやいやいや。 全然見えないから。 3メートル先、見えないから。 しかも、トンネル内、水溜りだらけ。 とてもひんやりしてるし。 子供、泣くよね。これ。 私だって泣くわ。 1998年に新トンネル開通したらしいけど、 1998年て、けっこう最近だよね? 現在の中山トンネル。国道291号線。右手に細い道ありますよね。 ![]() これを行くと… ![]() なんか小さい入口が。 ![]() これ。中山隧道。 ![]() 中にはこのような説明書きが。 ![]() これ。1998年まで国道。真っ暗。 ![]() 中山トンネルを通過して反対側へ行くと、こうなってます。 ![]() こちら側のほうが隧道入り口はちゃんとしてる。ベンチとかあるし。 ![]() でも真っ暗。 ![]() 当時の写真。貫通記念でしょうか。 ![]() 土木遺産認定! ![]() 山古志村は、ニシキゴイ発祥の地。 200年前から、棚田にコイを放し、養殖を続けてきました。 食用目的としていたものが、突然変異で色が付いたのがきっかけ。 それから、この貧しい村では、「食用」よりも、美しく育てることに専心してきました。 手掘りでも何でも、とりあえず掘らないと始まらないし。 自分達の代で終わらなければ、子供達が掘ればいっか。 ぐらいの楽天的発想で始めたのかもしれないですね。 平成16年の新潟県中越地震で山古志村は最悪の被災地の1つでした。 大切に育ててきたニシキゴイも、美しい棚田も、名物の闘牛たちも、 すべてを置いて住民達は村を出なければなりませんでした。 しかし、今では、伝統の牛の角突きも復活し、美しい棚田も見られます。 なぜかアルパカ牧場が二つもあるし、山古志のホームページを見ると、 けっこうイベントも行っている観光地です。 彼らは一致団結し、再び長い歳月をかけて、村を復活へと導きました。 素晴しいメンタリティ。 地震の時に地すべりで堰き止められ、ダムとなってしまった芋川。 ![]() 水没した集落もありました。 周辺の砂防ダム工事はまだ続いており、 大きなトラックが何台も行き交っていましたが、 とても明るく美しい村、という印象でした。 宿泊して、何日か過ごすのも、楽しいかもしれません。 ■
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by prampalmakara
| 2014-11-22 12:45
| 土木遺産のあれこれ
![]() 美しいアーチ式砂防堰堤です。 橋が架かっていて、真上から水が落ちていく様子を見ることができます。 湖側の景色も素敵で、紅葉の季節に来たい感じ。 ![]() この地域は室町時代から河川の氾濫が激しかったのですが、 昭和10年の大水害を機に、国による砂防事業が始まりました。 「砂防堰堤」とは、土砂災害防止を目的とした、いわゆるダム。 基本的に貯水機能はありません。 砂防法という法律に基づいて整備されているらしい。 色んな法律がありますねー。 付近は、「大源太キャニオン」と呼ばれるエリアで、 キャンプ場やゴルフ場、青少年旅行村などの施設がある観光地です。 ![]() 第2次世界大戦後にアメリカ軍が湯沢町に進駐した時に、 砂防堰堤の水路を閉じて水を貯留し、ボート遊びをしたことが、 リゾート施設として使用された始まりのようです。 この橋を渡って、森に入ります。 ![]() 森の中をずんずん行くと… ![]() ![]() ![]() 大きな橋の入り口にたどり着きます。 ![]() 橋の上から見る砂防堰堤。 ![]() ![]() 登録有形文化財の記念碑。 ![]() 緑と水と土木遺産。 マイナスイオン、たっぷり浴びました。 次はキャンプに来たいなぁ。 ■
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by prampalmakara
| 2014-11-08 17:05
| 土木遺産のあれこれ
2014年夏休み、のお話。 今年の夏のテーマは土木遺産、と前に書いたけれども、それはなぜか。 もちろん私だって、海外に行きたかった。 今年はミャンマーに行くつもりだった。 もう気分はパガンだった。 ところが。 今年は海外に行く気分じゃない、とつっぱねられた。 ダンナさんに。 じゃあもう1人で行ってきます。 と、袂を分かたないのが、少し成長した私。 夫婦は歩み寄りが大事、とばかりに代替案を出す。 じゃあ、台湾とか韓国とかどお? 全然歩み寄ってない、と思うかもしれませんが、 飛行機に7時間乗らないとたどり着けないミャンマーと、 2,3時間で着いちゃう台湾韓国とじゃ、全然違う。 まぁでも案の定作戦は失敗し、国内旅行となりました。 正直、私は国内旅行はあまり好きではない。 なぜならば、交通費が高い。宿泊費が高い。食費が高い。 さらに、結局どこまで行っても日本は日本。 日本語が通じる。日本語の看板がある。交通機関が発達している。 つまり、おもしろくない。 同じ時間とお金をかけるのであれば、海外に行く方が絶対におもしろい。 と、思っていた。今年の夏までは。 (いや、基本的には考えは変わってないんだけど) 特に行きたい場所もなかった国内。 どうするか悩んだ挙句、「土木遺産を見て周ろう」という結論に至りました。 勝手に。私が。(ダンナさんは国内であればどこでも良さそうだったから。) 古い石造の巨大建造物が好きな私。土木構造物も、けっこう好き。 社団法人土木学会が土木構造物の保存を目的として 毎年20件程度を選出して認定している「土木遺産」。 有名なところだと、箱根の函嶺洞門なんかがそうですね。 日本の土木遺産に認定されている橋や道路や隧道(トンネル)を見ながら、 温泉入りながら、せっかく免許も取ったんだし、車で旅をしよう。 ということで、新潟~富山~長野の3泊4日となりました。 我々の夏休み初日から3日間、天気予報は雨。しかも台風。 信じられん… 私、晴れオンナなのに… なんでよりにもよって今日から… と、出発日からかなり機嫌が悪い私。ぶーぶー言いながらも出発。 ところが。 確かに天気は良くはなかった。 でも、雨にはほとんど降られなかった。 雨が降っていたのは、我々が車で移動している間だけ。 または、ホテルで寝ている間だけ。 不思議と観光しているときはほとんど降りませんでした。 自分の晴れオンナっぷりを再確認した旅でした。 ![]() ■
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by prampalmakara
| 2014-11-08 16:06
| 日々のあれこれ
2013年9月21日、夏休み最終日。 ボロブドゥールで朝日を拝んだ後、とりあえずホテルで朝食。 ![]() このホテル、立地は抜群なんだけど、食事と設備がイマイチだったなぁ。 シャワーは途中でお湯が出なくなり、 レストランで食べたヌードルはよくわからない代物だった。 朝食ブッフェも、おいしくはなかったなぁ。 まぁ、1部屋1泊1万円くらいだったから、立地を考えれば許せるか… さて、お腹もいっぱいになったところで、再度遺跡公園へGO。 チェックアウトはお昼ぐらいなので、それまでは自由。 ボロブドゥール遺跡公園には、博物館があったり ![]() なぜかゾウがいたりします。 ![]() 博物館は、けっこうおもしろかったけど全然人がいなかった。 ![]() お庭には、こうして遺跡の一部がずらっと並んでいます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ガムラン一式もありました。 ![]() 館内も、セキュリティーは無いに等しかったです。 盗もうと思えば、できそうな感じ。 あーでも、重くて大変かもなぁ… 腰やられるわ。 プランバナンと同じようなSL型のバスに乗って、公園内を一周。 色んな角度からボロブドゥールを見て、ようやくお別れの決心をして、ホテルへ帰ります。 ![]() ![]() ![]() ![]() 荷造りをして、タクシーで空港へ。 まだ少し時間があったので、途中ムンドゥッ寺院という遺跡に寄ってもらいました。 ここの売り子のおばちゃん達は、やる気十分でおもしろかった。 最終日に、ようやく東南アジアの観光地らしさを実感。 タクシー降りた途端、囲まれ、捕まれ、行く手を阻まれる。 「オネーサン、コレ、Tシャツ。」 「ミテミテ。」 「カワイイヨ。」 「はいはい。今から遺跡見に行くから、また後でね。」 「ウソ。オネーサン、ウソツキ。」 「(ばれてる…)うそじゃないよー。」 ![]() 恐るべし、おばちゃんのトーク術。 さて。 ムンドゥッ寺院ですが。 ![]() 寺院の基壇や堂の内壁、外壁に施されているレリーフも見事ですが ![]() ![]() ![]() ![]() なんと言っても、内部にいらっしゃる石仏三尊像。 観音菩薩様、如来様、文殊菩薩様。 ![]() こんな圧倒的な存在感と美しさを持った石像、見たことないかも。 それぐらい、感動しました。 昔、奈良東大寺戒壇院の四天王像を見たときも、 中々その場を離れることができませんでしたが、 ふらっと寄ったこの寺院で、こんなに立派な仏像を拝めるとは思わなかったので、 かなりの衝撃でした。 ![]() ![]() この旅の最後を、こんな感動で終われることができて、本当に幸せ。 ありがとうインドネシア。 ボロブドゥール万歳。 ■
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by prampalmakara
| 2014-09-28 13:55
| ジャワのあれこれ
2013夏休み旅行記も、そろそろ終りを告げようとしております。 感動のフィナーレは、ボロブドゥールの朝日からでございます。 ![]() 早朝4時ごろ起きて、ホテルのロビーに集まり、懐中電灯と腰布を渡され、 はい。あとはお好きにどうぞ。 と、闇に放たれます。 ボロブドゥールのサンライズツアーは、我々が泊まったホテルマノハラが主催で、 アンコールと違って、個人で好き勝手に行くことはできないのです。 主催と言っても、上記の通りで、お金払って必要な物をもらったら、あとは自由。 まぁ、入り口は一つなので、みんなそこに向かって歩くわけです。 一人で参加しても、迷子になったり、襲われたりすることはないでしょう。 最上層へたどり着いたら、熾烈なポジション争いが始まります。 どこが一番きれいに朝日を拝むことができるか。 それとも、人ごみを避けて、多少見づらくても静かに朝日を待ちたいか。 まぁでもアンコールほど観光客は多くないので、サンセットもサンライズも、 比較的静かに過ごすことはできますが。 ![]() ![]() ![]() 朝日が顔を出す前の、空の彼方、闇の向こうに、 うっすらと姿を現したムラピ山の美しかったこと。 徐々に明るくなり始め、鳥の声が聞こえ、明け方のにおいがする。 ここでは毎朝当たり前のように感じられる情景だろうけど、 眼下に広がる朝もやの中の樹海とストゥーパは本当に神秘的で、 一生忘れられない光景となりました。 死にたくなったら、ここに来よう、と思った。 ![]() ![]() たっぷり朝の最上層を堪能した後、また下界へと降ります。 第一回廊のレリーフ。釈迦の前世のお話。 なんと、釈迦は前世はウミガメだった。 ![]() 商人の船が難破します。「きゃー助けてー」 ![]() そこに現れたウミガメ。「私の背中に乗りなさい」 (わかりにくいけど、みんなウミガメに乗ってる) ![]() 食料もなく体力が衰える商人。このままでは死んでしまう。 「私を食べなさい。」 「いただきます。」 ![]() めでたしめでたし。(んなアホな) 後ろ髪引かれる想いでボロブドゥールを後にします。 何度も振り返っては足を止めて、たまらず写真を撮る。 ![]() ![]() ![]() ![]() 本当に、離れるのが辛くて心苦しい。 それぐらい幸せな時間を過ごすことができたボロブドゥールでした。 ■
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by prampalmakara
| 2014-09-27 18:48
| ジャワのあれこれ
巡礼者は、第1回廊からレリーフをじっくり見て周り、回廊を1つ上がる度に、 カーラ(鬼面の守り神)の大きな口の中を潜り抜け、過去の災いが飲み込まれます。 ![]() 第4回廊から最後の階段を上がると、急に視界が開けます。ついに、悟りの境地へ。 ![]() この、石造の釣り鐘はストゥーパ(=仏塔)と言って、これをパカッツと空けると、 ![]() 72基すべてのストゥーパに仏像が入っていて、 切り窓から手を伸ばして仏像の右手薬指に触ると、願い事が叶うとか。 この切り窓、外側に並んでいるストゥーパは菱形、不安定な俗界の人の心を表し、 最も内側のストゥーパの窓は安定した賢者の心を表す正方形。 そして、この遺跡の最上層の中心にあるのは、窓のない「無の世界」大ストゥーパ。 「無の境地」は、喜怒哀楽のない、人間味のない、仏の世界。 つまんないだろうなぁ~、と思います。 何はともあれ、神秘的なこの最上層。 私は、大好きになりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ボロブドゥールは、眼下に樹海が広がり、山が近くて、風がよく通り、 夕方になると民家の夕餉の煙が昇って、鳥の声とコーランが混じって聞こえてきます。 ずっとこの景色を見ていたい、毎日ここに座って夕焼けを眺めたい、と思える場所です。 正直、遺跡全体の雰囲気は、アンコールワットよりも好きかも。 ワットも、何度行っても新しい感動がもらえる場所だけどね。 哀愁漂う背中 ![]() 友人は、この写真を見て「お風呂に入ってる図?」と真顔で聞きました。 さて、2013夏旅行最後のディナーは、憧れのアマンリゾート、「アマンジオ」にて。 アマンリゾートは、世界各地にあるけど、どこのホテルもとってもステキ。 でも、どんなに安い部屋でも、泊まると2泊3日で月収がふっとぶくらいなので、 せめてディナーだけでも、てことで。 場所が良くわからなかったので、べチャのおじさんに聞いてみた。 知ってる、とのことなので、連れて行ってもらうことに。 街中にないのはわかっていたけど、それにしたって、どんどん暗い方へ。 高台を登っていきます。 やばいかなぁ~と思い始めた頃に、明かりが。 さすがアマン。俗世間とは離れた場所に、まるでコロシアムみたいな建物。 ボロブドゥールを模してあるらしいけど、完全にローマのコロシアム。 入り口で、レストランだけなんだけど…と、モジモジして言ってみると、 ニコニコしてNo problem.ということで、入れてくれました。 ![]() はぁ~とため息を漏らしながら、キョロキョロしながら案内されました。 レストランは、窓がなく、外と直接つながっています。 高台にあるので、明るければ、ここからボロブドゥールが見えるらしいです。 ![]() ![]() ![]() ![]() お料理は、インドネシアの伝統料理コースにしました。 大きなお盆を肩に担いでウェイターさんが持ってきます。 ![]() この器の中に、お料理が入っていて、好きなだけ取り分けてくれます。 こんな感じ。 ![]() お料理もおいしく、雰囲気も抜群で、さすがアマン。 大満足でした。 ![]() 明日は、ついに最終日。 早起きして、ボロブドゥール朝日ツアーです。 ■
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by prampalmakara
| 2014-09-15 14:16
| ジャワのあれこれ
いよいよ2013夏旅行もクライマックス。 この夏のメインイベント、ボロブドゥールへGO!です。 まぁ、1年前の話ですが… ジョグジャのホテルから、メータータクシーで300000Rp。約1時間。 ジャワ旅行最後のお宿は、ボロブドゥール遺跡公園内唯一のホテル、マノハラ。 ![]() ![]() 風通しが良くて、とても気持ちの良いホテルです。 スコール来たら、大変だろうなぁ… ロビーでウェルカムドリンクのタマリンドスカッシュをいただきました。 ![]() 初めて飲んだけど、おいしかった。 そして、お部屋へ。 ![]() ![]() ![]() このホテル、さすが遺跡公園内にあるだけあって、チラチラ見えます。 お部屋はこんな感じ。 ![]() ![]() ![]() 狭いけど、きれいです。ベランダも付いてる。 ![]() 荷物を置いて、レストランで昼食を取って、庭を横切ってボロブドゥールへ。 ![]() ここで、ボロブドゥールを知らない人のためにちょっと解説。 当時東南アジアで勢力を誇ったシャイレンドラ王朝により、 780年~830年頃、約50年をかけて建造されました。 しかし完成後に王朝は崩壊。 ボロブドゥールも歴史の舞台から姿を消しました。 1841年、当時ジャワを支配していたイギリスのトーマス・ラッフルズにより発見され、 1000年ぶりにお目見えとなったわけです。 1991年に、世界文化遺産に登録されました。 ![]() 遺跡は3層構造の正方形で、高さ34.5m、一辺が123m。 自然の丘に盛り土をし、その上に安山石のブロックを接着剤を使わずに積んであります。 この、大乗仏教の巨大建造物が何であったのかは、未だ不明で、 寺院、王の墓、王朝の廟、僧坊、曼陀羅…など諸説あります。 外周の基壇は、「仏教の三界」で言うところの、煩悩で生きる「欲界」、 回廊が造られた方壇は、悟りを求める「色界」、 最上部の円壇は、物質世界から解脱した「無色界」 を表現しているとの解釈が有力です。 つまり、基壇から頂上部へ上ることは悟りへの道となります。 悟りを開きたい方は、ぜひ。 基壇の一部 ![]() 基壇から第1回廊への階段を上って、建物内に入ります。 回廊部分は4層構造になっていて、第1回廊から第4回廊まで、 仏教にまつわるレリーフが延々と施されています。登場人物1万人以上。 特に第1回廊は、ブッダの誕生から、悟りを開いて最初の説法を行うまで。 保存状態もよく、じっくり見てるとめっちゃ時間かかります。 回廊部分 ![]() ![]() レリーフ ブッタ=シッダールタ王子の幼少時代。抱っこされてますね。 ![]() 王子が生まれてすぐ母親はな亡くなり、おばさんに育てられたそうです。 ![]() 子どもの王子がお寺に行ったら、僧侶が出てきてひざまづく、の図。 ![]() 結婚する王子。向かって右が王子で、左が奥さん。 ![]() 王子の断髪。「俺は出家したいんだー」 ![]() お城を出ると、老い・病・死という3つの苦難に出会います。 病。向かって一番左に病人がいますね。 ![]() ![]() 死。わかりにくいけど、一番左で人が亡くなってます。 ![]() ![]() 修行中に施しを受ける王子。 ![]() 菩提樹の下で美女に扮した悪魔を追い払い、悟りを開きます。おめでとう! ![]() これらのレリーフは、大乗仏教の教えを説くためのもの。 信仰の対象は、レリーフの壁の上に鎮座している等身大の石仏。 東西南北各方面をじっと見据えて、静かに印を結んで座っておられます。 ![]() しかし、盗難でお顔のないものがほとんどで… ![]() ![]() こうやって遊ばれてしまいます。 ![]() つづく… ■
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by prampalmakara
| 2014-09-13 17:18
| ジャワのあれこれ
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