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さて。 お正月気分からも抜け出さなければならないので、夏旅行の続き。 どっちも休暇か。 ヨダレものの子不知の旧国道に別れを告げ、いざ親不知へ。 と、その前に腹ごしらえ。 国道8号沿いにある「親不知ピアパーク」にて、名物(?)たら汁定食。 んー…… 普通。 そして、こちらのアイドル(?)ミリオン君。 世界一の海亀像(ブロンズ製)だそうです。 このミリオン君、なんと。 右目からは小鳥が。 そして、左目からは天使が。 痛そうだ。 ん?小亀を連れていたから、もしかしたらミリオンちゃん、かも。 お腹もいっぱいになったところで、いざ。土木遺産へ。 明治16年に断崖を削って開かれた旧国道。 それまでは、岸壁の下の海岸線を命がけダッシュしていた当時の人々は、 どれだけ喜んだことでしょう。 昭和41年に国道8号の天険トンネルが完成し、 旧国道は文化遺産としてコミュニティロードとなり、当時の様子を伝えています。 その入り口には、観光ホテルが。ここの駐車場に車を止められます。 天嶮親不知の厳しさと、4世代道路の歴史が書かれています。 この方、ウォルター・ウェストンさん。 なんでも、日本近代登山の父だそうです。 明治27年にここを訪れたらしく、めでたくブロンズ像にしてもらえたとか。 ウェストンさんが眺める先にあるのが、旧国道。 ちょっと柵から乗り出して外側から見ると、こんな感じ。 この旧国道、崖を削って作ってあるんだけど、 その崖の壁面に、当時の人々が完工を祝って刻んだ言葉が今も残されています。 見えるかな。 「如砥如矢」と刻まれていて、「砥(と)の如(ごと)く、矢の如し」と読みます。 これは、「砥石のように滑らかで、矢のように真っ直ぐ」通れる、という意味だそうです。 こっちは、「天下之嶮」ですね。 他にもけっこう色々彫ってあったけど… もう海で命を落とすことはない、という喜びの余り、彫っちゃったんでしょうね。 でも、当時、こんなことして怒られなかったのかな… 重機もない時代だから、何人もの命が犠牲になってできた道だろうに。 いわゆる、落書き(落彫り?)じゃないのかしら、これ… このコミュニティーロードは、 天険トンネルが貫通している崖を囲むように作られています。 つまり、これを終点まで行くと、国道8号の天険トンネルの出口に着く。 私は、もちろんこの道を最後まで歩いて行きたい。 とっても行きたい。 すっごく行きたい。 が。 私の後ろでこちらを睨んでいる二つの目が… 「立入禁止」の看板も、ロープもない。 別に行っちゃいけないわけじゃない。と、思う。 思うんだけど。 ここで我を通すと、後々めんどくさい。 仕方ない。戻るか… 右手は先ほどの文字が刻んである壁面。 近付かないようにロープ張られてます。 コミュニティーロード入り口まで戻って子不知方面を見ると… ね?ステキな眺めでしょ? そしてそして。 親不知コミュニティーロードがあるこの場所には、 さらに感動的な文化遺産が、この崖の下に隠れているのを見つけました。 駐車場から海方面へ下りる小さな階段があったので、とりあえず行きます。 ずんずん下ります。 海が見えてきました。 見上げると、こんな感じ。 ん?なんだあれ さらに下りると ありました。 鉄道だー! そして、振り向くと 事前情報なしに、これと対面した時の私の興奮。わかります? 改めまして。 こちら、親不知ずい道。 とってもステキなレンガ造りの鉄道トンネル。 保存状態のいいレンガトンネルは、大変貴重だそうです。 大正元年に開通し、昭和40年の複線化に伴い、廃線となりました。 入口からは、出口の小さい明かりが見えます。 トンネル内には、蒸気機関車から出た煤が付着しているそうです。 ここからさらに下りると、海です。 昔、命がけダッシュしていた海岸です。 レンガトンネルを撮るために階段を途中まで下りて 傘を差しながら不機嫌な顔でこちらを見下ろしている監視官がおりましたので、 大人しく車に戻りました。 それにしても、こんな素晴らしい鉄道遺産があるのなら、 もっと入り口でアピールすればいいのに。 子供でも歩いて下りられるように道が整備されてるのに、もったいないなぁ。 これで新潟とはお別れで、富山に入ります。 新潟は、お米もビールもおいしくて、土木遺産も多い。 関越自動車道からの景色がとても美しく、私は新潟がとても気に入りました。 また行きたい! #
by prampalmakara
| 2015-01-10 19:17
| 土木遺産のあれこれ
新年明けました。 おめでとうございます。 今年も、年末ボクシングを楽しみ、紅白を見て、 元日は両親、親戚と会って気を使いまくり、 2日、3日は箱根駅伝を満喫したお正月でした。 それにしても、青山学院大学。 箱根駅伝初優勝、本当におめでとう。 そして、10時間50分を切るという素晴らしい記録。 コース変わっちゃったから、参考記録だけれども、 あの東洋大学の記録を早くも破ってしまいました。 すごーい。 今年も色々なドラマがあった箱根駅伝。 感動しました。 青春っていいなぁ。 ちなみに、いつも応援している上武大学は、 今年もシード取れなかったけど、襷が途切れなくて良かった。 明日で休みが終わると思うと、本当に本当に気持ちが重くなりますが、 「仕事辞めたい辞めたい」と言い続けた2014年を反省し、 今年は進退はっきりさせねば。 と思います。 というか、あと1年はもたないと思うんだよねぇ…今の仕事。 そういうわけで、みなさん。 今年もよろしくお願いいたします。 最近はまっています。 色々と勉強になる。あんまり必要ない知識だけど。 ゴキブリを主食にしているクモがいるって、知ってた? #
by prampalmakara
| 2015-01-03 20:30
| 日々のあれこれ
はっこねの やーまわぁ てーんかの けん という歌がありますが、日本の「天下の嶮」、つまり「天嶮」は、 箱根だけではございません。 新潟県糸魚川市親不知。天嶮・親不知です。 わかっているとは思いますが、念のため。「おやしらず」と読みます。 地形的な話をすると、本州はフォッサマグナという地溝帯で 東北日本と西南日本に分断されているらしい。 そのフォッサマグナの西端の外側に位置する北アルプスが、 海に落ち込んでいる場所が親不知。 日本海の浸食で、飛騨山脈の北端が削られて断崖絶壁が続きます。 JR北陸本線の親不知駅を中心に、 西側の市振駅までが親不知、東側の青海駅までが子不知。 全部で15Kmほどの距離。 このような断崖絶壁エリアは、通常であれば交通に適さないため、 海沿いではなく迂回した山越えの道が作られるそうだけど、 北アルプスの複雑かつ険しい地形がそれを拒み、 昔から人々は日本海の荒波と戦いながら、現在までに4世代の道が作られました。 その第2世代の道の一部が、土木遺産に認定。 現在は親不知コミュニティロードという名で、 徒歩と自転車のみ通行可能となっているため、そこを目指してレッツゴー。 と、その前に。 コミュニティロードもいいけど、その前に確認しておきたいものが。 これ。 こちら、子不知エリアの旧国道。青海駅から親不知駅までの第2世代の道です。 右側に映っているのが、現国道8号線。第3世代の道です。 この場所では高架橋になってますね。(左の下方に映っているのは、北陸本線) 旧国道も現国道も断崖絶壁に這うようにして作られてます。 そして、これ。 こしらず高架橋の先にある洞川橋の旧橋。 どうです。 この廃墟感。 萌えるでしょう? ヨダレ出るでしょう? 人工の構造物が自然に侵蝕され、飲み込まれていく、この感じ。 んー。たまらん。 フェンスを越えればこの旧道に入れたんだけど、 ウズウズしている私を後ろから睨む二つの目が… 常に、私が無茶をしないか監視しているだんなさん。 ご苦労様です。 ちなみに、第4世代は北陸自動車道ですね。 北陸自動車道は、トンネルに入っちゃうので、つまらないです。 でもこの北陸自動車道、日本初の海上設置となったそうです。 これ。 さらにちなみに、第1世代の道は、道ではなく崖下の海岸線。 引き潮のとき、または波の合間を縫って、岩場から岩場へ、命がけのダッシュ。 岩場には休憩所ならぬ休憩穴があり、 海荒れがひどい時は、そこから1週間も動けなかったとか。 加賀の大名様も、そうして参勤交代されたそうですよ。 親不知・子不知の地名の由来は諸説ありますが、 この命がけダッシュを表しているという説も。 親は子を振り返ることができず、子は親を気遣うことができないほどの 過酷な場所だということ。 そんな場所にようやく道らしい道ができ始めたのは、明治になってから。 旧国道は明治16年に完工し、改修を繰り返しています。 今ではJR北陸本線も通っているので、 旧国道・国道8号・北陸自動車道・JR北陸本線の4本の道が通ってることになりますね。 現在の国道8号線は、山肌に沿って曲がりくねっていて、 ずっとロックシェードがあるので見通しも悪いし、歩道なんてものは無いに等しい。 道幅もそんなに広くないし、トラックがバンバン走る。 普通に車を運転してても怖いのに、徒歩やチャリは、考えられない。私は。 山の迂回道は、登山道しかないみたいなので、車ないと生活は難しい。 ところで、最近気付いたんだけども、私のこの趣味嗜好は、ラピュタが原点。 思えば、あれが、映画を見て泣いた初めての経験。 痛いわけでもなく、悲しいわけでもなく、なんで涙が出るのかわからなくて、 小学生ながらに戸惑ったのを覚えています。 あの頃に、自分の趣味嗜好にちゃんと気付いていたら、 も少し違った人生を歩んでいたかもしれないなぁ。 #
by prampalmakara
| 2014-12-14 14:03
| 土木遺産のあれこれ
私は、この夏まで知りませんでした。 いわゆる、トンネルのことだそうです。 中山隧道は、新潟県山古志村にある日本最長の手掘り隧道で、全長922メートル。 昭和8年から、地元住民がツルハシ片手に掘り続け、16年後の昭和24年に貫通。 以降、新トンネル開通までの49年間、住民の暮らしを支える道として活躍しました。 山古志村は、冬になると積雪7~8メートルの豪雪地帯。 村の最深部に位置する小松倉には病院や商店はなく、 用事があると険しい中山峠を片道2時間かけて越えて行くしか道はありませんでした。 妊婦や病人を背負って峠を越えるという厳しい状況で、吹雪の時は死者も出ました。 そこで、住民達は、自らの手で隧道を掘ることを決意。 身銭を切って測量技師を呼び、農閑期の冬に限り交代で掘り始め、 16年の歳月をかけて、完成させました。 すごくないですか?これ。 手掘りですよ。手掘り。 当然、反対や失敗やケガもあったでしょうに。 しかも、冬しか作業しない、って。 ものすごいメンタリティだと思う。 だって、気が遠くなるような作業時間ですよね。 しかも。 この中山隧道、昭和57年に国道に認定されてます。 いやいやいやいや。 車通れないよ?ここ。 真っ暗だし。 入口付近に、スイッチらしきものがあったから押してみたら、 とおーくの方で、ポッと灯りが付いてたけど。 いやいやいやいや。 全然見えないから。 3メートル先、見えないから。 しかも、トンネル内、水溜りだらけ。 とてもひんやりしてるし。 子供、泣くよね。これ。 私だって泣くわ。 1998年に新トンネル開通したらしいけど、 1998年て、けっこう最近だよね? 現在の中山トンネル。国道291号線。右手に細い道ありますよね。 これを行くと… なんか小さい入口が。 これ。中山隧道。 中にはこのような説明書きが。 これ。1998年まで国道。真っ暗。 中山トンネルを通過して反対側へ行くと、こうなってます。 こちら側のほうが隧道入り口はちゃんとしてる。ベンチとかあるし。 でも真っ暗。 当時の写真。貫通記念でしょうか。 土木遺産認定! 山古志村は、ニシキゴイ発祥の地。 200年前から、棚田にコイを放し、養殖を続けてきました。 食用目的としていたものが、突然変異で色が付いたのがきっかけ。 それから、この貧しい村では、「食用」よりも、美しく育てることに専心してきました。 手掘りでも何でも、とりあえず掘らないと始まらないし。 自分達の代で終わらなければ、子供達が掘ればいっか。 ぐらいの楽天的発想で始めたのかもしれないですね。 平成16年の新潟県中越地震で山古志村は最悪の被災地の1つでした。 大切に育ててきたニシキゴイも、美しい棚田も、名物の闘牛たちも、 すべてを置いて住民達は村を出なければなりませんでした。 しかし、今では、伝統の牛の角突きも復活し、美しい棚田も見られます。 なぜかアルパカ牧場が二つもあるし、山古志のホームページを見ると、 けっこうイベントも行っている観光地です。 彼らは一致団結し、再び長い歳月をかけて、村を復活へと導きました。 素晴しいメンタリティ。 地震の時に地すべりで堰き止められ、ダムとなってしまった芋川。 水没した集落もありました。 周辺の砂防ダム工事はまだ続いており、 大きなトラックが何台も行き交っていましたが、 とても明るく美しい村、という印象でした。 宿泊して、何日か過ごすのも、楽しいかもしれません。 #
by prampalmakara
| 2014-11-22 12:45
| 土木遺産のあれこれ
美しいアーチ式砂防堰堤です。 橋が架かっていて、真上から水が落ちていく様子を見ることができます。 湖側の景色も素敵で、紅葉の季節に来たい感じ。 この地域は室町時代から河川の氾濫が激しかったのですが、 昭和10年の大水害を機に、国による砂防事業が始まりました。 「砂防堰堤」とは、土砂災害防止を目的とした、いわゆるダム。 基本的に貯水機能はありません。 砂防法という法律に基づいて整備されているらしい。 色んな法律がありますねー。 付近は、「大源太キャニオン」と呼ばれるエリアで、 キャンプ場やゴルフ場、青少年旅行村などの施設がある観光地です。 第2次世界大戦後にアメリカ軍が湯沢町に進駐した時に、 砂防堰堤の水路を閉じて水を貯留し、ボート遊びをしたことが、 リゾート施設として使用された始まりのようです。 この橋を渡って、森に入ります。 森の中をずんずん行くと… 大きな橋の入り口にたどり着きます。 橋の上から見る砂防堰堤。 登録有形文化財の記念碑。 緑と水と土木遺産。 マイナスイオン、たっぷり浴びました。 次はキャンプに来たいなぁ。 #
by prampalmakara
| 2014-11-08 17:05
| 土木遺産のあれこれ
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